「信じます!」という言葉ほど、危うさを感じるものはありません。
信じようとするのは、自分の運命の選択権を手放しているようなものです。
信じようとする対象は、見えるものでも見えないものでも同じです。
信じようとする意識と行動は、自分の運命を他者にゆだねています。
その間、自分で出来ることが放置されます。(やっている意識があっても、現実は「待ち状態」というお話)
信じようとする間に、可能性を高める何かをすれば良いのに、「信じてるから何とかなると思う」となってます。
たまたま信じていたとおりになるかもしれませんし、何とも成らないかも知れません。
未来は分からないけれど、分かっていることがあります。
信じようとする人は言われたことを一通りやったら「結果を待つ」ことを選択し、信じる信じないに関係無い人は、望む結果を手に入れるために「結果が出るまで」八方手を尽くします。
信じようとする人とそうで無い人の未来が違うのは当然です。
少しでも何とかしたいときは、信じのではなく、目標のために自分が出来ることをひたすら模索し続けるほうが、最終的に望んだ形になりやすいです。