私が占うときは、出来るだけ根拠や背景を重視しています。
相談者の現実も重視していますし、何を感じてどうしたいかも重要な要素としています。
占いの結果を理解しようとする時は、出来るだけ具体的なほうが理解が早く、行動に移しやすいです。
一方で「なぜ私に相談されたかな?」とか、「どうして私のところに問合せたのだろう」と考えるようにもしています。
人は何かで繋がっている気がします。
特に気をつけているのは、「守護霊さんとか、ご先祖さんがこの人を守っているとしたら、私に何を言わせたいかな?」についてです。
空想の産物のような気もしますが、相談者とやりとりをしていくと「・・・実は」というところに行き着くことが多いです。
前段のやりとりを全部すっ飛ばすような話が飛び出てきて、「それなら〇〇しかないよ」みたいにいきなり答えがハッキリ出ることも多いです。
なぜそっちに話が向かったのかは分かりません。
でも、ずっと気に掛けていることが多く、しかも、誰にも話せなくなってしまっていたりします(本人の気持ちの話なので、人によっては話が出来ます)。
「・・・実は」話が出てこない場合は、本人が目を向けないようにしていることを「直視した方が良い」という話になることも多いです。
そこから始めないと後々大変なのに、後回しにしようとしていたりします。
こういうことが起きるので、「もし見えない何かが、何かを伝えたいのだとしたら?」という仮定を大事にしています。
これは私の日常でも意識しています。
虫の知らせなのか、気分の問題なのか、些細なことが気になったり、小さなことが起きたりしたとき、出来るだけ従うようにしています。
見えない世界と見える世界は繋がっていないように見えて、ふとした何かで重なる気がします。
神仏を大事にしたり、自分を含めた周りを大事にしていると、「護られる」こともあるだろうと思ってます。
信心深い方が良いという話ではありません。
「こうした方がきっと良いよね」と感じたり思ったりすることを心がけておくだけです。
実証も証明も出来ないのですが、何となくうまくいく、切り抜けている状況を見ると、あるような気がします。
ぶっちゃけ、手に負えないことは「なるようになるし、自分はタイミングを外さないようにだけ気をつけておく」意識でいます。
願っている事や不安なことがあるときは、「なるように任せる」ようにしておくと、収まるところに収まっていきます。
ポイントは「なるように任せている」のですから、タイミングを逃さないようにします。
この「タイミング」が、虫の知らせだったり、何かの拍子に何かが起きたりすることに繋がります。
よく分からない部分ですが、分からないなりに受け止めていると、上手い具合にはまってくれます。
そういうこともあるのかって知っておくと、日々のちょっとしたことにも素直に合わせられるようになって、なんだか分からないけれど良い感じになっていきます。