やりたいことや「好き」というのがイマイチ分からないとしたら、それは自然のことですし、恵まれた環境にあるのかもしれません。
好きになるとか、やりたくなるとか、何かに関心を持つには「関心を持つ環境」が必要になります。
でも、今、「関心を持つ」ことが難しくなっています。
理由は必要性がないからです。
必要性とはあなたの関心の有無に関係無く、押しつけられます。
関心の有る無しに関係無いので、最初はやらされる事になります。
ここで初めて良い悪い(やりたい・やりたくない)が出てきます。
良い悪いが面白い、面白くないに繋がっていきます。
学校が良い例で、行きたくなくても行かされます。
いえ、最初の最初は行きたいも行きたくないもなく、ルールだから行く事になります。
置かれた環境で自分の事が分かってきます。
これが何でも自由だったり、ルールが緩く自分の好きに出来るとなると、「どうでも良い」「特に関心無い」に繋がりやすくなります。
こういう状態の中で「やりたいことを見つけてください」「好きな事をやって良いです」といわれても困ります。
自分の関心を見つけるために必要なことは、自分の想うとおりに出来ない環境に身を置くことです。
仕事も結婚も、そういう意味では「やりたいこと」「好きなこと」を見つける環境にあります。
仕事も結婚も自分の想うとおりに出来ないからこそ、「どうしたいか=やりたい・好き」が見えてきます。
仕事の中、結婚の中にある、自分の本心を形にしていくことから始めます。
こうしたい・こうありたいを感じるのは、枠の中にいて摩擦が起きているから気がつける話です。
私は公務員時代(昔は公務員でした)、9時17時に馴染むのが大変でした。
仕事が早く終わっても17時までいないといけないのです。
自分の仕事だけやっていたら暇すぎるので、あれこれと手を広げてやってました。
仕事を節約して引き延ばすのでは無く、仕事を手広くやって増やす選択です。
その結果、毎日忙しく、しかも周りの人との関わりも多くて楽しかったです。
無駄と感じた時間を我慢するか、使い倒すかの判断をしたのは、そういう枠の中にいて強制されたからです。
これが自由になってしまうと、仕事に関心を持つことが難しくなります。
自由度が高く本人の意思を優先するのは、素敵に見えて、本当は楽しいことに気がつくチャンスを奪われているのかもしれません。
自分の本心・欲求に気づきたいなら、制約の多い環境に身を置けば、こうしたいああしたいがハッキリしてきます。
そこから始めていけば、何をしたいか、何が好きかも見つかりやすくなります。