「占いの結果を信じます!」と言われたら、「占いは信じないでください」と答えます。
信じようとしている段階で他力本願になり、どこかで油断するからです。
自分のことなのに「占いの結果に出ていたから」と言いはじめたら、不幸一直線です。
よくお話に出す、「結婚出来ない」と占い師に言われたら、結婚を諦めるのですか?です。
こういう風に言いつつも、心の底のどこかでは「結婚出来る可能性もあるはず」と思っているから厄介です。(そうじゃないと相談されるわけがない)
少しでも可能性を期待するから相談されるのです。
それならば、信じるかどうかの次元ではなく、目安にして可能性を上げ、使い倒したいです。
そうは言いつつ、私は占いを信じていないのか?と言いますと、信じるかどうかというより、これまでの積み重ねの結果「そうだよね」としか思っていないです。
これを「信じてる?」っていうのかな(笑)。
運命を占うとき(運勢ではなく)、私はタロットを使うことがありますが、ここで出た結果に疑いは挟みません。
疑うと、もうタロットは使えなくなります。
強烈な体験がタロットにはあります。
私がまだ西谷泰人手相スクールに通っていたとき、浅野太志先生のタロット講座でスクールに関して占ってました。
スクール生との関係性を占っていたのですが、一人で生きていくという結果が出ました。
その数ヶ月後、私は手相スクールを手相の流年の伝授を受けた後、退会してました(笑)。
何をどのように想定して占うかが大事なのがタロットですが、こういう事例が積み重なると、疑うとかそういう話じゃなくなりますし、「信じるかどうか」でもありません。
出てきた情報がどこまで使えるかをチェックするのが私の仕事みたいなモノです。
だから、「信じてください!」なんて言いません。
○○の傾向があるので、○○の未来が予測されます、対処の仕方は○○で、あなたはそこまでしなくても良い(した方が良い)という伝え方になります。
占いの結果を如何にも神秘的なオブラートに包んで伝えること、神の手が働いているように伝えることも可能です。
その気になって貰って行動に繋げて貰うやり方もありますが、占い依存一直線です。
それも占いの受け方の一つですが、お客様を何かにはめようとしている気がして好きじゃないです。
占いを信じるよりも、自分のやっていることを信じて欲しいし、一番は自分の感じている事を信じて欲しいです。
最後に頼りになるのは自分だからです。