「やりたくない・面倒くさい」だけだと人生が大きく変わる

何かのヒントになる?

先日、「飲み会に行かなくて良いから楽になった」とニュースになっていました。

昔から忘年会、新年会、歓迎会は出席したくない、という話が出ていました(仕事の後の飲み会等も同様です)。

それがコロナの影響を受けて「嫌なモノはやらなくて良い」理由が立つようになって来ました。

行きたくないモノに行かなくて済むようになって、人生が楽になりました。

大事な事はこの後です。

行かない選択をして生み出した時間を「何に使いますか?」です。

今、「やりたくない」が昔以上に通るようになり、コロナで更に拍車が掛かって加速しています。

その結果、「嫌だ、やりたくない」のは良い、「じゃあ、何をやるの?やってるの?」となります(誰かに問われても問われなくても、遅かれ早かれ直面します)。

ここで人生が大きく分かれます。

人生は平等だと感じることの一つに、みんなに等しく時間の力が作用していることです。

本人が望む望まないに関わらず、積み上げなかったモノ、積み上げたモノが現在を作り出しています。

どういった人生を望むかを、自由に考える事が許されている日本です(全部じゃ無いけど、大体)。

「何を選択しても良い環境」に置かれると、時間の経過に伴って、まったく違った人生になっていきます。

「やりたくない」だけだと、時間がどんどん空いてくるようになり、用事がなくなります。

用事がなくなった結果、「何か面白いことない?」となっていきます。

そのまま何となく日々が過ぎていくから怖いです。

「やりたくない」というときに、その分は〇〇をするのに時間を掛けるとなれば、〇〇をする人生に切り替わっていきます。

「無駄」と感じる時はそれに関して、多分、本当に無駄な部分が多いのです。

でも、そこに何かあるのも確かで、本当に無駄なら自然消滅します。

「やってみて」次は無いなと感じるときの次の機会に「やりたくない」となるなら、その分「〇〇をやる」となります。

こういう人は自分がやりたいこともハッキリしているので、そちらに時間を使いたいのです。

でも、とりあえずやってみてから判断しようとするわけです。

一方で、面倒くさそうだからやらないとなると、機会を得ることもなく、他にやることも無いという悪循環にはまってきます。

これらは全て同じ人の話で、意識の向ける方向を変えているだけです。

今、コロナのお陰で「コロナが怖いので済みません」と言える状況にあります。

それは本当にそうなのだけど、安易に使うと、自分の生活がどんどん狭くなっていきます。

この辺が分かってくると、今、誰もが人生の節目にあることも分かります。

今後、ますます個人の欲求が通りやすくなる可能性が高まりますが、「ラッキー」では済まされない未来が待っているかもしれません。

難しい話では無く、嫌なら嫌で良いですし、やりたくないならそれでも良いのです。

その代わり自分はこれが好きだし、これがやりたいをハッキリさせていくことです。

それが何かを生み出すとかそういうことは関係無く、やりたくないという想いと同じくらいのやりたいを持つ時代という話です。

「やりたくない」に割く時間を「やりたい」に割けば良くなっているわけです。

ここに気がつき、自分に時間を掛けていくかどうかです。

時間のかけ方は昔以上に自由になっていますが、気がつくかどうかで、人生が大きく変わるタイミングに来ています。

タイトルとURLをコピーしました