「やった方が良い」「やらない方が良い」で人生が変わる

何かのヒントになる?

めっちゃご無沙汰していました。

こちらのブログは日々更新を意識していましたが、日々更新している時間がないほど忙しくなってしまい(外仕事が増えて)済みません。

漸く通常営業(外仕事も終わったので)に戻すことが出来て復活です。

メインブログも古い投稿を更新しなきゃと思っているところですが、おいおいやっていきます。

今回のお話は暗黙の了解とか、その辺りに関わってきます。

コロナの影響を受けて、マスクを付けたり、入り口で消毒をしたりするじゃないですか。

「私は嫌だからしない」というのも「有り」です。

周りに迷惑を掛けていないという認識なので、そういう選択もOKです。

ここで一つの尺度が生まれます。

「やった方が良いのか?」「やらない方が良いのか?」です。

マスクも消毒も「着けなくても良い、やらなくても良い」と言えますが、やった方が良いかやらない方が良いかで言えば、「やった方が良いのでは?」と感じます。

強制するとかそういう話では無く、「感じ」のお話です。

「やった方が良い」とか、「やらない方が良い」と感じること、気がつくことは、言葉で言い表されていません。

気遣いの世界です。

気遣いは、分かる人にしか分からないですし、住む世界も違います。

住む世界が違うのですが、分かろうとすることでチャンスが巡ってきます。

一つ一つは些細な事ですが、分かる人には分かります。

この時にどうするか、どうしたいかです。

「やった方が良いこと」「やらない方が良いこと」を選択出来るということは、自分の運命を自分で選択している事に似ています。

最初に「暗黙の了解」と言いましたが、要は見えない世界の話です。

何も霊とかだけが見えない世界では無く、もしかすると見えている部分の方が少ないのかも知れません。

見えていなくても、そこにはあります。

暗黙の了解が成り立っている場所で自分の好きにすると、一時的に「お得」な感じがしますが、手切れ金みたいなもので、その後は得られるモノがありません。

それどころか「そういう人」と見られてしまうことで、「周りを大切にする人」が離れていきます。

残るのは似たような「自分が良ければ良い人」です。

自分が良ければ良い人の得られるモノは小さいですし、周りの協力も得にくく、自力で何とかするしか無くなっていきます。

突然、このような状況になるのではなく、日々の積み重ね、やった方が良いことをやらず、やらない方が良いことをやり続けた結果です。

時間が掛かるため気がつきにくいですが、1年、3年、5年、10年と時間を追う毎に顕著になります。

といっても難しいことはありません。

自分が良いと思った人・場所・事に対しては、周りを優先し大切にするだけで良いです。

想いは通じますし、いつか返ってきます。

いえ、返ってくることを期待しなくても、今、この状況が良好になっていくだけで元は取れています。

タイトルとURLをコピーしました